ひとり親家庭の子どもの居場所「学びの広場」。先週末は、幼児から高校生まで30人近い子どもが来ていました。土曜日は特に子どもの数が多くなっています。
これだけの人数になると、トラブルは増えます。物損、ケンカなど、いろいろなことがありました。学校や学童保育をはるかに上回る人数のスタッフが配置されていても、全体の統率をとるのは簡単じゃありません。
子どもたちがたくさん集まる場で子ども間のトラブルが増えると、トラブルメーカーとなる子どもが一方的に注意されがちです。さらに手を焼くと、保護者に向けて「おうちでも注意してください」なんて指導者が言ってしまうこともあります。
率直に言って、「注意」や「叱責」で子どもをコントロールしようとするのはとても下手なやり方です。かえって悪い結果を招く場合も多く、学びの広場では安易に頼らないように戒めています。
トラブルを起こしやすい子どもの発達や生活背景にも注目できたほうがよいし、トラブルの事後対応として大人がどう関わるのかも大事です。しかし、最も重視すべきは「トラブルが起きにくい環境づくり」です。
トラブルの直接の引き金となりやすい場面というのはおよそ限られてきます。いくつか例をあげてみましょう。
- 活動の場所やプログラムが切り替わる場面
- 子どもにとって何もすることがない場面
- ルールのはっきりしない遊びを子どもどうしではじめた場面
ここでは、主に二番目と三番目について説明します。大人は子どもたちがみんな「自由遊び」を好むと考えがちです。大人から「これをやりなさい」と押しつけられるのは確かに面白くないに決まっています。
では、子どもたちが集団で過ごす中にある「自由」の楽しさって、何でしょうか。
それは「『できること・わかること』の中から『やりたいこと』が選べる」ということだと思います。
「できること」も「やりたいこと」もなく、ただ「自由にしていなさい」と言われても、子どもは面白くありません。何をすればよいかわからない時間は、子どもを退屈にさせたり、不安にさせたり、苛立たせたりします。そんな不快感は、楽しそうに遊ぶ他の子どもへのちょっかいとして表れることもあれば、自分が勝手に作りあげた遊びのルールや世界観の押しつけに変換されることもあります。
英語で「自由」にあたる言葉はふたつです。ひとつは「freedom」。もうひとつは「liberty」。
「freedom」は「何も縛られるものがない自由」であり、生まれながらの子どもはもともとfreedomを享受することが認められています。
しかし、この世界は混沌としていて、子どもは成長とともにその複雑さに気づいていきます。そこで、人と共有できる「言葉」や「ルール」などを支えにして、生きていこうとします。生まれたままの「自由」から離れて、社会的な決まりごとに縛られていくことで、安心して他人や社会と関われるようになるのです。
もうひとつの「自由」である「liberty」には「不自由な中から自分でつかみとる自由」という意味があります。
子どもが発達とともに獲得していく自由は「freedom」から「liberty」に移っていくものだと言えないでしょうか。そのためには(ある時期から)「わかりやすいルール」を大人が持ち込んでみせて、まずはその快適さや便利さを子どもたちに知ってもらってから、次に子どもたちの意思を問うていく必要があるのだと思います。子どもたちの「創造力」が発揮されるのも、そこから先です。
学びの広場(に限らず、子どもたちの活動一般)に話を戻せば、課題とすべきは「トラブルを起こしやすい子どもをどう注意すればよいか」ではなく「子どもたちにとって意味やルールのわかりやすい環境とプログラム」の設定である、ということになります。
工作材料もおもちゃもゲームもふんだんにあるのです。しかし、紙コップもおばけの人形もそれ自体は単なる「物」。「何だかよくわからない物に囲まれた場」になるのか、「意味がわかって安心でき自分を表現できる場」になるのかは、大人の支えにかかっています。子どもと関わる大人たちみんなでがんばりましょう。
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